長女の髪を結いながら 〜やればできる〜

今朝、少し時間にゆとりがあったので、

 

登園前の娘の髪を編み込んでやりました。

 

実は私、つい数ヶ月前まで、女の子の可愛らしいヘアアレンジが苦手でした。

 

特に編み込みに対しては昔から苦手意識があり、

 

練習する気にもならなかったのです。

 

しかし、ついに娘が「アナにしてほしい!」「エルサにしてほしい!」などと希望をいうようになったのです(笑)

 

とうとうきたかと思うとともに、

 

着飾ることに興味がなく、言いたいことが言えない性格だった私は、

 

娘のそうした自己主張が嬉しく、せっせと練習を始めたのでした。

 

 

そして。

 

ようやく私はコツをつかみ、長女の髪を編み込んでやれるようになりました。

 

 

そして気づいたのです。

 

『やればできる。ってこういうことか。』と。

 

私はこんなに小さな成功体験でさえ、今までロクに積んでこなかったのだ、と。

 

受験も、部活も、一応はそれなりに、頑張ってきたつもりだけれど、

 

失敗が怖くて、自分の限界に挑戦したことはなかったように思う。

 

どうせ無理だからと予防線を張って、

 

ロクに頑張りもせずに、ほらやっぱり私なんてと自分を蔑み、

 

他人のフリをして生きてきた。

 

なんてかわいそうなことをしたんだろう。

 

 

 

もしも娘がそんな思いでいたら、と考えただけで涙が出てくる。

 

母も、こんな風に思ってくれたことがあったのかな…。

 

ずっと母の愛に疑問を抱いてきたけれど。

 

私が自分のフィルターを通して娘を見ているように、

 

母も母のフィルターを通してしか私のことを見られないんだな。

 

見えていた世界は、景色は、何もかもが違っていたはず。

 

伝えなければ、わからないんだなぁ。

 

 

 

 

長女の髪を結いながら、今日はたくさんの気づきがあった。

 

 

次女の愛 〜シャワー編〜

シャワーで頭を流していると。

 

次女が桶を私の頭の上に。

 

シャワーの湯が遮られ、

 

一瞬イラっとしてしまったのだけど。

 

その直後。

 

次女が桶にたまったお湯を私の頭にザブリ。

 

小さな体を精一杯伸ばして、お湯を汲み、

 

そのお湯で、私の頭を流してくれたのでした。

 

こんなに小さな体で、

 

大きな愛を注いでくれた次女に、

 

心の底からありがとうを伝えました💕

 

 

お料理ブームきたる。

長女に空前のお料理ブームがやってきました。

ここのところ、なんでもかんでも自分でやりたがる長女。

今までは『お手伝いしてあげる♡』だったのが、

最近はすっかり『わたしがやる!』が口癖です。

もう、子供用の安全包丁で騙し騙しやらせるのも限界。

今は本物の包丁で、最初から最後まで長女に切らせています。

もちろん、大人が手を添えて、絶対に目を離さず、気は張りっぱなしです。

正直疲れます。時間もかかります。

私がこどもの頃、親になったらこれだけはと心に決めていた信念があります。

『お手伝いの要求を断らない。』

こどもの頃は、

『お手伝いの要求を絶対に断らない。』

でしたが、そこはあっさり文言を変えました(笑)

 

私は自分の自己肯定感が育たなかった原因が、

親に手伝いを拒否されたことだと思い込んで生きてきましたが、

実際にこどもを相手にしていると、

必ずしもそれだけが原因ではなかったのだろうなと思います。

長女は今4歳ですが、私には4歳の頃の記憶はほぼありません。

断片的な記憶がほんの少しあるだけです。

記憶の中で私は母と確かに料理をしていたし、

優しい笑顔を向けてくれていました。

 

今の関わりが、どれほど将来のこどもたちに影響するのか、今はまだわかりません。

思い描いていた理想通りにはなかなかいきませんが、

こどもたちの『手伝いたい気持ち』『役割』『達成感』

これらをできるだけ大切にやっていけたらと思います。

 

…とはいえ今日、生肉を鍋に入れようとして落としてしまった長女に、『あーあ』と言ってしまいものすごく後悔&反省をした私なのでした…

 

平等に育てるって難しい。

私には二人の娘がいます。

 

次女が生まれたばかりの頃、

 

なるべく長女が次女を可愛がってくれるように、

 

極力長女に構う時間を多く取るようにしていました。

 

次女の気持ちを大袈裟に盛って伝えたりもしました。

 

『〇〇(次女)は〇〇(長女)のことが大好きなんだね〜』とか、

 

『大好きだから一緒に遊びたいんだね〜』

 

といった具合です。

 

そうした刷り込み?!もあってか、長女はそんな妹がかわいくて仕方がない様子ですし、

 

次女の方も“お姉ちゃんが大好き”と心の底から思っているように感じます。

 

喧嘩もしますが、基本的には仲良しでいてくれています。

 

 

 

次女も2歳になり、言葉が増え、少しずつコミュニケーションが取りやすくなってきました。

 

そうなってくると、いよいよ“上の子優先”はおしまいだな、と感じるのですが、兄弟姉妹を平等に扱うのって、なかなか難しいものですね。

 

親の立場で言ってはいけないことかもしれませんが…。

 

相手のあることなので、全く同じに接するのって本当に難しい。

 

 

 

ここのところ頭を悩ませているのは、次女のイヤイヤについてです。

 

長女と次女で、イヤイヤの出方が違い、対応に戸惑っています。

 

我が家の場合、長女は赤ちゃんの頃からよく泣く子でした。

 

家以外の場所ではほぼ笑わず、

 

泣いて私にしがみついているだけ。

 

あまりにも長女の癇癪がひどいので親や友人に心配されたものですが、

 

正直私には不安のかけらもありませんでした。

 

つらいのは、長女のかわいさを周囲に知ってもらえないもどかしさだけでした。

 

感情を持つこと、それを爆発させられることがどんなに素晴らしいことであるかは、よくよく分かっていましたから。(とは言え私も一緒になってよく泣いていましたけど。)

 

長女はどんなに泣いても暴れても、抱きしめてやることで必ず落ち着きました。

 

『ワガママに育つから放っておいた方がいい。』と言われたこともありました。

 

だけど、最終的に必ず私を求めてくれる長女を放っておくことは出来ませんでした。

 

そんな長女も4歳になり、ずいぶんしっかりしました。

 

今でも泣き虫で、ささいなことでシクシク泣きますが、嘘のように癇癪は無くなりました。

 

 

 

次女はというと、赤ちゃんの頃は本当によく寝てくれ、起きていても感情の起伏が少なく、どちらかというとポケ〜っとしている子でした。

 

長女がつい最近まで激しいママっ子だったのに対し、

 

次女は早くからパパのことが大好きでした。

 

なのでどうしても、長女とのスキンシップが多くなってしまっていたと思います。

 

 

そんな次女も一歳になる頃から、だんだん感情の起伏を見せるようになってきました。

 

同時にママっ子になり、激しく抱っこをせがむようになってきました。

 

感情を表出してくれるようになったことは、嬉しい変化でした。

 

2歳前になるとイヤイヤ期に入り、それはもう激しく泣いたり転げ回ったりするようになりました。

 

 

そういう時、抱きしめると落ち着いた長女に対して、

 

次女は、何もかもを拒否して転げ回ることがあります。

 

長女と比べて癇癪の頻度は低いけれど、ムシャクシャして物に当たります。

 

おもちゃを思い通りに操れなかった時など、

 

そのまま投げたりかじったりします。

 

そんな時、次女にはものすごく叱ってしまう自分がいます。

 

長女には、なるべく抱きしめて優しく語りかけてきたはずなのに。

 

長女は慎重派なのでそもそも叱られるようなことをするチャンスがなかったようですが、

 

次女はそんな長女の悪い見本?もないために、

 

自分で何でも試してみているようです。

 

 

 

そんな時私の中ですぐに、

 

『おもちゃを投げるのはいけないこと!!』というセンサーが反応してしまって、

 

必要以上に次女を叱ってしまいます。

 

逆にそれを見た長女が、“私はああなってはいけない”と学習しているようです。

 

 

 

まだまだいろいろなことを身を以て体験している時期なんですよね。

 

 つい、私の中の道徳的なものさしで何でも測ってしまいがちです。

 

いいこと、悪いことを教えることはもちろん大切ですが、

 

こどもたちの心の声にもっと耳を傾けてやれるようになりたいな…と思うのでした。

 

 同時に娘たちのいいところをどんどん見つけて、伝えていきたいと思います。

 

 

 

努力の仕方

最近、とあるネットニュースでタレントの武井壮さんの言葉が取り上げられているのを拝見しました。

 

あまり存じ上げていなかったのですが、武井さんの生き方や名言の数々に、多くの人が胸を打たれているようですね。

 

今回私が目にしたツイートは以下のものでした。

 

 

私もかつて、伸びない自分に失望していた時期がありました。

 

私の場合、『伸びない』というよりも『できない』だったかもしれません。

 

学生時代、卒業後の就職を前提として、アルバイトをさせていただいた施設がありました。

 

採用が決まった時はとても嬉しく、やる気満々で、この場所で咲くのだと意気込んでいました。

 

しかし、私は事あるごとに職場で注意を受け、笑顔が減り、失敗が増え、どうにもならない悪循環にはまっていきました。

 

そしてついに、私は上司にこんな風に言われてしまいます。

 

 

『もし本当にこの仕事に向いていないんだとしたら…必死なあなたが心配だ…』

 

 

なんとか成長したいと必死でもがいていた当時、この言葉はものすごくショックでした。

 

上司や先輩がこんなにも時間や労力をかけて私を指導してくれているのに、

 

私は何一つ結果で応えることができない。

 

やっぱり、私には向いていないのか…

 

どんなに努力したって意味がないのか…

 

 

 

しかし今、武井さんのツイートを見て感じたことは、

 

あの頃上司は、“身にならない努力に身を削っていた私を本気で心配してくれていた”

 

ということでした。

 

実際、病気になる一歩手前のような状態で、半ば無理矢理、退職の道を選ぶことになってしまいました。

 

 

武井さんは続けてこうもおっしゃっています。

 

  

 

当時の私は、働くということに対して半端な気持ちでいたことは間違いありません。

 

福祉の仕事をすることで、人から感謝されることを期待していました。

 

困っている人を助けることで、私が救われたいと思っていました。

 

しかし本来仕事とは、他者にとっての価値を生み出す対価として報酬を受け取るものです。

 

そもそも私は自分自身には価値がないと思っていて、

 

誰かに価値を付与してもらいたくて、人と関わる仕事がしたかった。

 

そんな状態の私が価値を提供できるはずがなく、

 

報酬を受け取る資格もなかった。

 

 

 

しかしこんな風に過去のことをブツブツ書く時間も無駄に思えるほど、武井さんはさらに力強い言葉を続けています。

 

 

 

なんて力強いメッセージなんでしょう。

 

百獣の王を目指されているそうですが、なるのでしょうね、きっと…。

 

私も、正しく努力して、最高の自分を目指したいと強く思いました。

 

 

愛の存在を感じた瞬間

愛を探し続けていた私は、ある時愛について知るきっかけを得ました。

 

私は昔、“理想の母親像”をノートに書き綴っていました。

 

自分の体験をもとに、

 

『こういうことを自分のこどもには言わないようにしよう』

『自分が母親になったらこうしてあげよう』

 

そんな風に感じたことをせっせと書いていたのです。

 

そうすることで、不安な気持ちが紛れていたのでしょうか。

 

書いている時、なんとも切なく、後ろめたい気持ちでいたことを覚えています。

 

そんな“理想の母親像ノート”の存在を、ある人物にメールで打ち明けたことがありました。

 

今では人生の伴侶となった彼ですが、当時はまだ会ったことさえありませんでした。

 

その人は、私にこう言いました。

 

『そのノートの内容が、「自分がしてもらえなかったこと、してほしかったこと」になっているなら、是非やっていただきたいことがあります。

 

それは「母親にしてもらって嬉しかったこと、感謝できること」を別に書いて欲しいのです。それは、小さく、ほんの些細なものでも構いません。』

 

それを聞いて私は、そういえばどうして、してもらって嬉しかったことは書いてないんだろう…?と悲しくなりました。

 

その日、夕方から出勤する母親を玄関で見送るとき、

 

母親がこちらを振り向き、悩んでいる私を心配するように見つめてくれたのです。

 

その顔を見たとき、なんともいえない、あたたかな気持ちが、胸のなかに広がりました。

 

それまで、弱々しく見えていた母の背中が、急に大きく見えたのです。

 

 

 

アドバイスをくれた彼との出会いは、私の人生を大きく変えました。

 

私が探し続けていたものは、私の中にしっかり存在していたことを、

 

彼は教えてくれたのです。

 

もちろん、それからすぐ順風満帆な人生になったわけではありませんが、

 

その日を境に、確実に私は変わっていきました。

愛はどこにあるの

私は自分が大嫌い。

 

顔も体型も性格も、全部。

 

いいところなんかひとつもない。

 

誰からも愛されないし、

 

誰かを愛することもできない。

 

 

学生時代、私はこんなふうに思っていた時期がありました。

 

 

 

自分が嫌いだから、見向きもしなかった。

 

私がどんな人かなんて、考えたこともなかった。

 

人の話を聞くのは好きだけど、

 

自分のことは何も話せない。

 

好きの反対は無関心だというけれど、

 

私はまさに、自分に無関心だった。

 

いや、無関心を装っていたのかもしれない。

 

本当は、愛したかった。

 

自分を。家族を。友達を。

 

 

 

友達ができ、仲良くなり、距離が近づくにつれて、

 

いつも立ちはだかる壁がありました。

 

「あなたってどんな人?」

 

私はこの問いに自身で答えが出せず、

 

人との距離をいつも縮められずにいました。

 

 

 

『自分のこと、全然話してくれないね。』

 

『あなたが話さないなら、私も話すのやめるよ。』

 

初めて、真剣にそう言ってくれた友人がいました。

 

ハッとしました。

 

私はその友人に、少しずつ自分の気持ちを打ち明けるようになり、

 

自分について考える時間を持つようになりました。

 

でも。

 

私の中にはドロドロした感情ばかり。

 

不安で、寂しくて、悲しくて、苦しい。

 

笑っているのも、全部嘘かも。

 

 

 

その友人に支えられなんとか日々を乗り切っていましたが、

 

明るく曝けだせない自分というのはなかなかに扱いづらく、

 

出口のない迷路を彷徨う日々は続きました。

 

 

 

母親に対するドロドロした感情、

 

実習先やアルバイト先での度重なる失敗、

 

自分への失望、

 

あらゆる負の感情に取り憑かれ、

 

私は身動きが取れなくなっていました。

 

 

 

私は心のすみっこで、いつも愛を求めていました。

 

愛するのと愛されるのとでは、どちらが幸せなんだろう?

 

いつも考えていました。

 

愛なんて私には縁がない…と言い聞かせながら。

 

それでももしかしたら、こんな私でも誰かが愛してくれるかもしれない。

 

こんな私でも、誰かを愛することができるかもしれない。

 

そんな淡い期待をいつも抱いていたのだと思います。

 

 

 

 その後意外な形で、愛の存在を感じるきっかけが訪れました。

 

 

そのきっかけについては、次回書きたいと思います。