愛はどこにあるの

私は自分が大嫌い。

 

顔も体型も性格も、全部。

 

いいところなんかひとつもない。

 

誰からも愛されないし、

 

誰かを愛することもできない。

 

 

学生時代、私はこんなふうに思っていた時期がありました。

 

 

 

自分が嫌いだから、見向きもしなかった。

 

私がどんな人かなんて、考えたこともなかった。

 

人の話を聞くのは好きだけど、

 

自分のことは何も話せない。

 

好きの反対は無関心だというけれど、

 

私はまさに、自分に無関心だった。

 

いや、無関心を装っていたのかもしれない。

 

本当は、愛したかった。

 

自分を。家族を。友達を。

 

 

 

友達ができ、仲良くなり、距離が近づくにつれて、

 

いつも立ちはだかる壁がありました。

 

「あなたってどんな人?」

 

私はこの問いに自身で答えが出せず、

 

人との距離をいつも縮められずにいました。

 

 

 

『自分のこと、全然話してくれないね。』

 

『あなたが話さないなら、私も話すのやめるよ。』

 

初めて、真剣にそう言ってくれた友人がいました。

 

ハッとしました。

 

私はその友人に、少しずつ自分の気持ちを打ち明けるようになり、

 

自分について考える時間を持つようになりました。

 

でも。

 

私の中にはドロドロした感情ばかり。

 

不安で、寂しくて、悲しくて、苦しい。

 

笑っているのも、全部嘘かも。

 

 

 

その友人に支えられなんとか日々を乗り切っていましたが、

 

明るく曝けだせない自分というのはなかなかに扱いづらく、

 

出口のない迷路を彷徨う日々は続きました。

 

 

 

母親に対するドロドロした感情、

 

実習先やアルバイト先での度重なる失敗、

 

自分への失望、

 

あらゆる負の感情に取り憑かれ、

 

私は身動きが取れなくなっていました。

 

 

 

私は心のすみっこで、いつも愛を求めていました。

 

愛するのと愛されるのとでは、どちらが幸せなんだろう?

 

いつも考えていました。

 

愛なんて私には縁がない…と言い聞かせながら。

 

それでももしかしたら、こんな私でも誰かが愛してくれるかもしれない。

 

こんな私でも、誰かを愛することができるかもしれない。

 

そんな淡い期待をいつも抱いていたのだと思います。

 

 

 

 その後意外な形で、愛の存在を感じるきっかけが訪れました。

 

 

そのきっかけについては、次回書きたいと思います。